その次の日も青井 日和は図書室に現れた。
その次の日も、その次の日も。
「ここいいですか〜」
必ずそう聞いてくることから始まる。
「いちいち聞かなくっていい」
「そうなの? 礼儀かと思って」
そんなことを言ってケラケラと笑う。
ただその時は不思議といつも教室で青井に抱く嫌悪感はなかった。
図書室の外では、相変わらず私は彼女にイライラしてしまうことが多く悪態をついているし、関係は変わっていない。
ただ、図書室に現れない日は、何かあったのかと気にならなかったと言えば嘘になる。
(どうしちゃったんだろう、私……)
図書室で何をしているかといえば、私は勉強のみ。
それ以外に何かをやる余裕など微塵もない。
青井はというと、勉強をするのは稀で、小説を読んだり図鑑を読んだり、スマホをいじっていたり。
挙げ句の果てには、何もしないでぼーっとしていたり、寝ている時もある。
ただ、いつも下校時刻ギリギリまでやっている私と下校のタイミングを合わせたくないのか、だいたい下校時間の前には帰宅していた。
こっちも一緒に帰るのは気まずいが、向こうは自転車、こっちは徒歩。
なので玄関までは一緒でも、その後は別々になるのであまり問題にはならなそうだけど。
そんな事が続き、今もいつものように青井が隣の席に座っている。
勉強をする日ではないらしく、呑気に小説を読んでいた。
私は明日の予習に概ね区切りがつき、下校時刻まであと30分。
これで帰ろうか、明日の英語の単語テストに備えて下校時刻まで粘るかを迷っていたとき、ふと、青井に声をかけてしまった。
「今日は勉強しなくてよかったの?」
素直に聞けた。
こっちは必死に勉強しないと全くついていくことができない身なので、彼女はどうしているのかと気になってしまった。
「うーん。今日はこれ読むって決めてたから。気になって勉強どころじゃなかったかも。今から……は無理か。でも、授業で少し分からない部分があったから帰ったらやるよ。うん。メンドウだけど、そこはちゃんとしないとね」
最後は自分に言い聞かせるように呟いていたように思う。
(なにも考えていないんじゃないんだ。なーんだ。てっきり……)
『たわいもない会話だった』と、あとから振り返っても思う。とりとめのない雑談。
それだけのはずだった…………ただ、私は気がついてしまった。
|な《・》|ぜ《・》|私《・》|は《・》|、《・》|青《・》|井《・》|が《・》|何《・》|も《・》|し《・》|て《・》|い《・》|な《・》|い《・》|。《・》|何《・》|も《・》|考《・》|え《・》|て《・》|い《・》|な《・》|い《・》|。《・》|そ《・》|ん《・》|な《・》|人《・》|間《・》|だ《・》|と《・》|決《・》|め《・》|つ《・》|け《・》|て《・》|い《・》|た《・》|の《・》|か《・》|。《・》
青井が不思議そうな顔で私をみている。
酷い顔をしていたのだろう。
ただ、心の奥底から発生した自分への嫌悪が熱として全身に伝わり、どうすることもできなかった。
「どうした?気分悪い?」
「保健室行く?あ、もう先生帰っちゃったかな」
私は、今すぐここから消え去りたかった。
勝手に決めつけていた…………青井はこういう人間だと。
愛想は良いが、何も考えていない人間なのだと。
どこかでバカにしていたとも言える。
何を言っているのだろう。バカは、私だ。
青井がどんな人間なのか、私は彼女のことを知っているわけではない。
よく知りもしないのに、勝手に自分のイメージを押し付けていた。
彼女は彼女なりに考えて行動していたのだ。
それを想像できなかったのか。
やはりバカは私だ。
一体私は何を見ていたのか。
「風間さん、本気でやばそうだけど……大丈夫?」
(何か言わないと…………何か…………)
「だ、だいじょうぶ、です」
必死にそう応えるのが限界だった。
ただ、明らかに大丈夫ではないように見えたのだろう。
変な汗もかいてしまっている。
「そっか、気分悪いなら保健室行きなよ。最悪、職員室なら誰かいると思うから。あとは家族に連絡するとか」
もう、構わないでほしい。
というか、なぜ彼女はこんな私に普通に話しかけられるのか。
自分が今までしてきた彼女に対する態度は、彼女にとっては大したことではなかったのだろうか?
私は、軽蔑されても仕方のないことをしてきたはずだ。なんで、なんで…………。
「それじゃー、私は帰ろうかな」
「…………うん」
帰り支度を始めた青井から目をそらす。
もはや直視できない。
なんとか落ち着きを取り戻そうとするが、まったく無駄だった。
自分がどこを見ているのかもわからない。
支度を終えた青井が立ち上がる。
小説を読んでいただけなのだから時間はかからない。
「じゃあね」
そう声をかけられ、思わず彼女の方を向く。
すると、彼女は少し悩むようなそぶりをし、何か言葉を発するために口を開きかけるが、なかなか言葉が出てこない。
ふと一度口をとじ、目をつぶった。
そして決心がついたのか目を開き、こんな言葉を投げかけてきた。
「体調が悪そうなところ申し訳ないけど、1つだけ聞かせて………………風間さんって、私のこと嫌いなの?」
「えっ?」
血の気が引いた。
「勘違いだったらごめん。ただ、聞いてみたかったんだ」
青井は申し訳なさそうにして言葉を続ける。
「風間さん、私に冷たいじゃん。図書室ではそうじゃなかったかもだけど。私もちょっと辛いんだ。なにか私がやっちゃたのなら謝るけど、そもそも、私のことが嫌いなのかなって」
「だから、最近ここに来てた。それを聞きたくてここに来てたんだ。だけど、なかなか言い出せなくて今になっちゃった。自分でもびっくりだったけど、この場所の居心地がよくて……。ごめんね」
何か応えなければいけない。それはわかる。
「えっと……ごめんなさい」
「やっぱり、私のことが嫌いってこと?」
「いや……」
私は、青井 日和のことが嫌いだったはずだ。間違いなく。
どこがと聞かれれば、青井の言動、そこから嫌悪感を感じていた。それは事実だ。
ただそれは、私が勝手に青井日和という人間を定義した結果なのだ。
はたしてそれは本当に嫌いと言えるのだろうか。
(何か応えなないと。何か応えなないと。何か応えなないと。何か応えなないと…………何を?)
「今度、話させてください…………」
返事になっていたかはわからない。いや、まったくなっていないだろう。ただそれしか言葉が出てこなかった。
「わかった…………。じゃーね」
青井が何か言いかけた気もするが、そう言い残した彼女は振り返ることなく去っていった。
下校時刻を告げる放送が響く。
私も帰らないと…………。
手当たり次第に机の上に広がっているものをしまい、私は、逃げるように図書室を後にした。
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