登場人物
悠妃(ゆき)
高校1年。チカとは小学校からの付き合い。都内のマンションに一人暮らし。
チカが卵料理が好きなことはわかっているが、実は自分もそうだという自覚がない。
コンビニでサンドイッチを買う時は、タマゴサンドの確率が一番高いし、コンビニのゆで卵が好き。
味付け卵も買っていたが、味付け卵は家で大量生産する方が得だということに気づいてからは買うことは無くなった。
チカ
高校1年。悠妃とは幼馴染。
チカの卵料理では、オムライスが一番好き。
トロトロの卵のオムライスは絶品。
悠妃が味付け卵を大量に作ったときは、見た目では分からないが、テンションがものすごく上がっている。
白いご飯に味玉を乗せて食べるのが好き。
本文
「おい…………、嘘だろ?」
動画投稿から一週間、事態は思わぬ方向へ転がっていった。
チカの弾いてみた動画はほぼ撮って出しの状態で特に演出効果などを加えたりせず、ただ売れ線の曲にチカがベースを弾く様子が映っているだけ。
学校バレを防ぐために私服。
そして顔バレを防ぐために画角を調整して、基本的に肩から膝までしか映っておらず、多少、曲に合わせて揺れる体の上下でアゴが入るくらい。
今回の弾いてみた動画撮影が『バンドにベースとしてスカウトされたい』という目的なので、都内に住んでいることと、ベースとしてバンド活動がしたいという情報だけは投稿した動画の概要欄に記載し『興味があれば連絡してください』と、誰でも取得できるフリーメールアドレスを掲載しておいた。
投稿してすぐは再生回数が伸び悩んでいたが、その後再生回数がなぜか激増。
チャンネル登録者数もコンスタントに登録者数を増やしている。
「悠妃、やっぱり私、天才!」
「いやいや、これ、おかしいって」
身バレをしてしまった可能性も考えたけど、特にやらかしている様子はない。
であれば動画に何かヤバいものでも映っているのかと思ってくまなく探したけれど、そもそもそんなことは動画を公開する前に入念にチェックしたので大丈夫だろう。
「チカ、スカウトめっちゃ来てるぞ。ただこれ、ほとんど冷やかしだな。ヤバい系のヤツも紛れ込んでると思う。正直、あんまりおすすめしないけど、どうする?」
「きっと、ちゃんとしたのもある。それを探す」
再生数が増えたことでオススメ動画として表示される回数が増えたのか、コメント欄も件数がどんんどん増えていく。
幸いなことにコメントの多くはチカのベースの腕を褒めている内容がほとんどだったので、チカのベースの腕を見込んで本気でスカウトしてきているメールも、あるとは思うが…………。
「わかった。私もメールの選別手伝うよ。でも、私が少しでも怪しいと感じたメールは、どんどん捨てるから。それに対してチカは文句言うこと禁止な」
「わかった」
流石にチカも状況を理解したのか、大人しく私の提案に従う。
メールフォルダにはすでに三百通を超えるメールが届いていて、これを一つ一つ開封し、内容の真偽を確かめる作業は困難を極めた。
あからさまに悪意のあるメールは、フィルタリング機能で迷惑メールとして振り分けられているが、文面はまともでもおかしなリンクが貼られているものや、実在するバンドの名を語っているような、判断の難しいメールの判断に時間がかかり、ようやく候補を十通ほどに絞れた頃には夜になっていた。
「チカ、とりあえずこの中から選んでみろよ。メールの内容に不自然なところが無いのを選んだから。でも、必ず相手に会う前には私に報告しろよ」
「悠妃、ありがと」
「どういたしまして。……って、チカ、もう帰れ、外真っ暗だぞ」
「…………やだ。泊まってく。明日休みだし。今日泊まって、明日また悠妃と一緒にメールチェックする」
「なっ、勝手に決めるな! それに、パジャマとか明日の着替えとか」
「持ってきてある」
(どーりで。いつも手ぶらで来るのに、今日はなんだか妙にデカいバッグ持ってると思ったんだよな。コイツ、最初から泊まる気だったのか)
こうなったら人の言うことを聞くようなヤツじゃないので、夕食を一緒に作ることと、お風呂にはちゃんと入ることを条件に、宿泊を許可する。
「夕飯、何か食べたいものあるか? 焼き魚、パスタ、チャーハン……」
「オムライス」
「お前本当に卵料理好きだよなー。うーん。あ、サラダ付きならオムライスでもいいぞ、サラダ無しの場合、焼き魚定食になります」
「悠妃のイジワル! 野菜キライなんだけど」
「知ってますー。だからですー。お前、普段から不摂生な食生活なんだから、ウチにいる時くらい、野菜食べろ。体壊すぞ」
「ムーーーー」
「お前、それどっから声出してるんだよ。うなってもダメだからなー。返事!」
「わかった」
朝からずっとパソコンの画面と睨めっこをしていたせいか、頭の奥に鈍い痛みを感じる。
チカはスマホすらあまり見ないタイプなので、口はまだまだ元気そうだったがけど、見るからに参ってしまっていて、眉間に皺を寄せながら目を閉じている。
「しゃーねーな」
私は二人分のフェイスタオルを濡らして硬く絞り、適当な皿に乗せてレンジで四十秒ほど温めて、一つをチカに渡してやった。
「悠妃、何これ。熱いんだけど」
「いいから、それをアイマスクみたいに目に当てとけ。私も目が疲れて頭痛い時とかよくやる。かなりラクになるから」
「…………わかった」
疲労から言葉を交わすことはなく、私とチカはリビングのカーペットに二人寝転び、疲れた目を癒す。
フェイスタオルはすぐに冷めてしまうので少し熱めに温めるのがコツで、じんわりと目とその奥を温めてくれる。
二人とも疲れていて会話はなく、部屋にはかすかに外の喧騒が聞こえている程度の音しかない。
ふと、私の手がチカの手に触れ、どちらとでもなく手を繋いだ。
冷めていくフェイスタオルと違い、チカの手はいつまでも温かくて、心地よい安心感が私を満たす。
騒がしい日々だったと思う。
本当に疲れた。
私の世界は、極端に狭い。
この部屋と、学校、ネット、それにチカ。
たったこれだけ。
これだけなんだと、チカの手を握り改めて感じた。
でも、不思議と寂しくはない。
たくさんのものがあっても、私は持て余してしまうだろう。
これだけでいい。
今は…………きっと。
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