【えちゅーど】3. – Dear Yuki

登場人物

悠妃(ゆき)

高校1年。チカとは小学校からの付き合い。都内のマンションに一人暮らし。
料理が得意とは思っていないが、好き。
普通の人からすればとても美味しいものを提供しているのにその自覚がない。

チカ

高校1年。悠妃とは幼馴染。
悠妃の料理が実は自分親の料理より好き。ただ、それを悠妃に言ったことはない。
その理由は『聞かれたことがないから』。
チカ、そういうところだぞ!

本文

「ああくそっ、またズレた」

 チカが持ってきた曲のベースを除いた各楽器のパートを、音楽制作ソフトに打ち込んでいく。
 確かに、マウスだけじゃ厳しかった気がするが、それ以上に『リードギター』、『ギター』、『キーボード1』、『キーボード2』、『ストリングス』、『ドラム』と、打ち込むパートの多さに頭がどうにかなりそうだった。

(ギター、ドラム、キーボードくらいだと思ったのに……)
 
 しかも各楽器で数多ある種類の中から音色を選択して、さらに演奏している感じの微調整、そして音量調整など、気の遠くなる作業にもはや終わりが見えない。
 ここで諦めたところで、誰にも後ろ指を刺される筋合いはないと思う。
 
(あーもー、弾いてみた動画、チカのベースパートだけでも十分じゃね?)

 クリック音に合わせて、ベースを弾く姿でも十分かっこいいと思う。

「チカー。これ、いよいよ終わりが見えないんだけど……」
「もうさ、チカのベースだけでよくない? もしくは、ドラムパートだけ打ち込むから、リズム隊ってことで動画配信すればいいじゃん。それでチカの上手いベースの魅力は十分伝わるって」

 私も私で、配信したい動画がある。
 未編集の素材がシャレにならないくらい溜まってきていてやばい。
 
 各パートの打ち込みという終わりのない旅を完結させるためには、私は悪魔にだって魂を売ろう。
 おだてればコイツも諦めてくれるだろう。
 
 せめてもの花向けに、ドラムパートだけは打ち込んでやる。
 格段に仕事量が軽減されるので、私的にもハッピー…………。

「ゼッタイにヤダ」

(悪魔か!)

「ぐぅっ」

 唇を噛み締めて、泣きながら作業に戻る。私にもう自由はない。
 
 全てを悟ってドラムパートの打ち込みに戻り、MIDIキーボードを使い『ドンドン・タンタン・シャンシャン』気持ち強めに鳴り響かせていく。

「悠妃、怒った?」
「お怒ってねーよ。先の見えない作業に絶望しているだけだ」
「私に何かできることある?」
「ギターパートの打ち込み、お前がやれよ。残ってるから」
「えーー!」
「っざけんな。頼むよお願い。このままじゃ私も私の動画編集ができないんだよぉ」

 これは本音だったので、チカに向かって懇願する。
 私は、ベースはもちろん、ギターのことも全然分からないので、絶対にチカが打ち込んだ方がいい出来に仕上がると確信している。
 めんどくさいわけではない、決して…………。

「わかった。やってみる。悠妃、あとで操作方法教えて」
「チカぁぁぁぁ。やっとわかってくれた? ありがとー」

(こいつも流石に申し訳ないと思ってくれたか…………大人になってくれて嬉しいぞ)
 
「でも悠妃、本当にいいの? 私が作業すると、パソコン占領しちゃうけど。この部屋、テレビも何もないから、私が作業している間、動画編集も、ゲーム実況の配信用動画の撮影も何もできないけど…………。悠妃もベース練習する?」

「ぐぅっ」

(結局、私がやるしかないじゃん!)

 チカにパソコンを独占されたら、スマホをイジるくらいしかやることがない。
 
 私がベースを練習する機会は永遠に来ないと確信しているけど、もし万が一あるとすれば、この世の終わりがいまこの瞬間に来て『せめてチカが好きだったものに触れておくか』という状況くらいだろう。
 結局は私が全ての作業をしなければならないのだと理解し、唇の噛み締めをいっそう増して、作業に戻る。

(私の唇、ちぎれないかな……)

「チカ、慰めろ!」
「え? 悠妃、何?」
「お前にできることは、私を慰めて、応援することだけだ。慰めて、応援して『大好き、ありがとう』って言え」
「…………わかった」

 後から思えば、この時私は本当に余裕がなかったんだと思う。
 
 部屋の隅で床に座り、片耳だけヘッドホンをしてベースの練習をしていたチカはヘッドホンを外すと、足音をさせずに私の椅子に近づき、優しい手つきで、自分と向き合う形に椅子を回す。
 次に私の耳からヘッドホンを丁寧に外し、私に覆い被さるように机の横に設置されているヘッドホンホルダーにヘッドホンを引っ掛けた。
 
 その動作に合わせ、私の目前でチカの透き通るような白い肌をした小ぶりの耳、首筋、胸元が次々と通過し、それに少し遅れて、チカが愛用するミント系の香水の爽やかな香りが顔を撫でる。

(この匂い、ダメだ。私がダメになる…………)

「ちょっ…………んっ」

 チカはヘッドホンホルダーに伸ばした手を戻しながらそのまま私の首筋にあて、髪をかき分けるように私の頭に移動させ、キスをするように口元を私の耳もとに近づける。
 チカの香りに酔ってしまいそうで目を閉じると、視覚からの情報が遮断されたことでチカの気配をより一層強く感じてしまい、さらにチカが触れる箇所に意識が集中してしまう。

「…………悠妃………………悠妃っ」
「な、なに…………? んっ」

 私をその気にさせることに対しては天才的なチカは、囁くように、繰り返し、繰り返し私の名前を口にする。
 チカの声、息遣いを敏感に拾い、耳から背筋、胸、お腹を通じてつま先まで甘い電流が走り、何か声を出そうにもうまく口から音が出てこない。
 
「いつも、本当にありがと。感謝してる。私にできることがあったら何でもやるし、こんなことでいいならいつでも言って」
「うん……うん。。。」

 無意識に私もチカの背中に手を回すが、あまりの刺激の強さにチカを抱きしめることもできず、ただ、生まれたての子供のように手をあいまいに握り、チカの背中を軽くひっかくようになぞってしまう。
 
 チカにこうして欲しいと要求したのは自分。
 チカはそれを守っているだけ。
 私が言ったことを、ただ実行しているだけ。
 であれば……次は『大好き』って言ってくれる。
 チカが、私のことを好きって言ってくれる。
 
「悠妃」
「…………なに」
「わかいいね。悠妃」
「か、かわいくなんか……」

(不意打ちは……ずるい……)
 
「大好き、愛してる」
「…………………………んっ」
「悠妃?」
「…………………………。うん。でも、チカは私がお願いしたから言ってくれるんでしょ…………?」
「違う」
「?」
「だとしたら、あの時、私から悠妃のことを好きだって言ってないよ…………」

 
 本当にチョロい人間だって、自分でもわかる。
 でもこれだけで、たったこれだけで………………。

 私は、本当にどうしようもなく頑張れてしまうのだから、やっぱりそういうことなんだろう。
 
「あぁ…………」いつか、同じ目にチカをあわせてやりたい。
 
 絶対に。

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